エッセイ
ポルノの効用
少し前に感動ポルノという言葉について、思う事をエッセイ風にしたためたことがある。感動という言葉とポルノという言葉を結びつけることにどうにも違和感を覚えてしかたなくて、ある感情を押し付けるものという意味でポルノという言葉の一旦を理解したつもりだった。それでもしっくりと納得したという訳ではなかった。
ポルノというものは、性的興奮を呼び覚ます書画の類であるという理解はしている。しかし、それは押し付けるというのとはちょっと理解が異なる。それを正当に利用しようとする人、この場合当然ながら成人男性、と成人女性についてであるが、押し付けという概念は成り立たない。しかし、これが未成熟の、あるいは発達期の若い男女であるとすると、不必要に性的興奮や妄想を喚起する惧れがある。それが100%いけないものであるとするのは私自身も肯定しないのだが、ある程度の規制は行われるべきであるとは幾つかの理由から思っている。ポルノというものを観たいと欲してはいない未成熟の男女に、そういうものを無防備に見せることはある種の犯罪行為を誘発する惧れがあると思う。そういう意味でポルノというのは、その存在意義は肯定しているものの、ある程度の禁忌性を持っての上でなければ流布してはならないものだと私は理解している。
そういう理解をした上で、私が常々疑問に思っているのは不妊治療で行われていると噂されている、受診男性に精液を提出して貰う際に用意されているというポルノグラフィーだ。私自身そういう経験はないし、目撃した訳ではないので、確たることは言えないのだが、突然不妊外来に赴き、精液を提出してくださいと言われて個室に導かれて、すぐに精液を出せる男性は稀だろうとは想像に難くない。そういう個室には、それなりのポルノグラフィーが用意されているのだとは、ドラマや小説の一端では目にしたり耳にしたりはあるものの、実際の現場には遭遇する機会はこれまで幸か不幸かなかったのだ。
感情の、あるいは欲情の押し付けという言い方は問題があるかもしれないにせよ、どんなポルノグラフィーだったら確実に射精にまで至れるかは、個人によって千差万別だろうと思う。そういう事を前提として、不妊外来の為に用意される精液摘出の為のポルノグラフィーとはどんなものなのだろうかと想像を逞しくはするものの、答えはみつからない。私がもしそういう不妊外来の担当医師だったとしたらいったいどうするだろうか。
似た様な問題で、盲腸の手術前などで男性患者の性器のまわりの無駄毛を処理するというのがある。これも私が経験したことがないので、確たることは言えないのだが、これを若い美人系の女性看護師に担当医師が命じたとすると、問題を起しかねない。だからといって、それほど若くない、それもあまり周りからは美人だとは思われていない女性看護師に命じた場合、セクハラと取られかねなくもない。性の問題というのはかくも難しい局面を孕んでいる。