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エッセイ


パンツの秘密 ― パンツを見られるのが何故恥ずかしいのか



 つい最近、はたと思い当たった事がある。パンツを見られるのが何故恥ずかしいのかという問題についてである。
 ミニスカートから覗くパンツやパンティについて何度かエッセイ風のものを書いたことがある。パンチラの是非やパンティ覗きの犯罪性などについてである。しかし、そんな中で純粋な疑問としてパンツを見られるーこれは主にスカートを穿く女性がという前提であるーのが何故恥ずかしいのかという疑問がずっと頭によぎっていた。
 単純に考えれば、それは性器を隠すものだからと言う意見が出てくるだろう。しかしこれは論理的におかしい。パンツが見られても性器は隠している状態なのだから恥ずかしくない筈ではないかという論理だ。だからこれは性器を見られると言う恥ずかしさとは別物と考えなくてはならないということになる。
 その答えの一つと思われる事項に最近出遭ったのだ。それは「おしっこの正しい拭き方」というネット上の記事だ。これは勿論、女性に向けての記事である。そもそも男性はおしっこの後、性器を拭いたりはしない(おそらくはだが通常はそう)だろう。
 女性がおしっこの後にティッシュやトイレットペーパーであの部分を拭うというのを知ったのは大人になって随分後のことだ。そんな事、考えたこともなかった。が、現代社会においては当たり前の事らしい。
 歴史的にはとなると、これは皆目見当もつかない。トイレットペーパーが普通に普及しだしていた昭和後期には普通のことだったような気もする。トイレットペーパーではなくて、チリ紙と呼ばれる時代はどうだったかとなるともう判らない。女性が着物が普通で、懐紙と呼ばれるものをふところに忍ばせていた時代はどうか、紙がまだ普通に出回って居なかった時代はどうか、中世の西洋ではどうだったか、想像もつかない。
 歴史的にはともかくとして、現代においては少なくとも女性はおしっこをした後、性器をペーパーで拭うのは当たり前のようだ。では何故かというと、女性器特有の構造によるものと言えるだろう。つまり小水は陰唇と呼ばれる肉襞の間から洩れ出てくるものなので、どうしても用を足した後、若干の小水が性器の中に残ってしまう為なのだろう。だから、それを無くす、あるいは極力少なくする為にペーパーで拭うという行為が必要になるらしい。らしいは私が男性であるがゆえに想像するしかないということによるものだ。
 さきほどの「正しい拭き方」と言う記事に戻ると、正しいのは前から後ろでもなく、後ろから前でもなく、じっと押し付けるだけにするというものだった。決して動かして拭き取ってはならないということらしい。それは摩擦を起こすことで性器を傷つけるおそれがあるからなのだそうだ。
 まあ、そこはいいとして、その時はたと思い当たったのが、パンツは汚れるものなのだという事実だった。つまりおしっこをすると幾らペーパーで拭ったところで、完全には拭いきれない。そうなるとだんだん汚れてくるということを否定することが出来ない。実際、ずっと穿き続けたパンツは裏側が汚れてくる筈だ。どのくらい穿き続けるとどのくらい汚れるのかは想像も出来ないが、パンツというのは汚れるので穿き替えることを前提としている下着だ。まあ、衣服というものは多かれ少なかれ何時かは汚れるので着替えるものではあるのだが、小水で段々汚れていくというのとは大きな意味合いで違うのだろう。
 ここまで考えてきて、パンツはいずれ小水の沁みで汚れる筈のものなので、どれだけまで汚れているか判らない下着を誰かに見られたくないと思うのは自然な発想だろうと思うのだ。意識的にそう何時も思っているかどうかは定かではないが、無意識のうちでも汚れているかもしれない下着を見られたくないという意識は働くのではないかと思われる。
 それならば、今度は男性が何故女性のパンツを見たいと思うのかという問題になると、汚れた下着を見たいというのは、殆どの場合ないだろうと思われる。勿論、そういうフェチの人が居ないとは言わない。しかし、パンツがちらっと見えると男心につい見てしまうのは、決してよごれているかもしれないと思うからではないと少なくとも私は思うのである。それはおそらく女性が隠そうとするからで、隠そうとするから却って見てみたくなる心理が働くのだろうと思うのだ。ましてや、その場所は性行為をする為の究極の目標となる神秘的な場所であることが、例えそういう知識が身に着く前の児童ぐらいの齢であっても本能的に、あるいは動物的に判るからなのだろう。
 排泄をする場所と生殖の為の性行為をする場所を同じ器官にしたのは神の業と言う他ないが、その辺りにも性の神秘というものが潜んでいる気がしてならない。

2018.2.14

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