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エッセイ


日本語の含蓄の多さ


 私はとある教会に所属している信者のひとりである。その教会は外国人信者の数も半端なく、外国人対応についてはかなりの努力をしている方だと感じている。
 その一つがアナウンスの英語版だ。

 教会ではミサと呼ばれる司式の終り部分で、その教会信者たちの為にお報せが各代表者によって流される。そのすべてが英語訳されて、英語でもお報せがあるという訳ではないが、出来る人、出来ない人に依るのだろうが、偶に日本語のお報せの後に英語翻訳版が行われることがある。一番多いのが教会学校という信者子弟等の為の集会のお報せだ。

 つい先日、そんなお報せのなかにこんなものがあった。
 「尚、今度の教会学校ではヨガ教室があります。保護者の方々は、お子さんに運動のし易い服装で参加されるようにお願いします。」
 なるほどと思った。ヨガは多少は自分もやった経験があり、柔軟体操のような結構ハードな身体の曲げ方などをするので、身体を曲げる際に無理がかからない柔軟性のあるジャージのような服を準備しろと言っているのだと理解した。
 しかし、その後英語訳されたお報せを聞いてびっくりした。だいたい、こんな内容だ。
 「The children who will attend this YOGA class, be sure to take appropriate wearing, not to wear short skirts. 」
 運動のしやすい服というのは、下着が見えてしまうような短いスカートは避けろという意味だったのだ。
 幼い女児は、短いスカートを穿いてくることがままあるだろう。しかし、それだとヨガをやっている最中に下着が覗いてしまうことがあり、他の男児や指導する男性職員たちによからぬ思いを抱かせてしまうことを怖れていたようだ。

 確かに運動のし易い服装に、ミニスカートは含まれないだろう。しかし日本人にはそんな事は言わずもがなだろう。逆に英語を普段使う西洋人や、南米出身者などは言わないといけないのかもしれない。もし日本語のお報せの中で、「ヨガなので下着が見えてしまうかもしれない短いスカートは避けてください」とストレートに言ったとすると、そのほうが余計に案内者の人格を疑われてしまうのではないだろうか。

 文化の違いというのは思わぬところに現れてしまうものだと痛感した出来事だった。


2017.11.6

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