エッセイ
山手線の女子高生
品川で行われる研修に参加する為に、新宿から山手線内回りに乗った。電車に乗り込む時、ホームの列の先に短いスカートの制服を着た女子高生らしき女の子が居た。かなり短かった。
女の子はドア横の座席の脇に立ち、私は列の最後から乗り込んだのでドアが閉じられた時、自然と女の子の横になった。下を向くと自然と女の子の白い腿が見えた。どうしても目に入ってしまう。
幾つか駅を過ぎたとき、女の子に正対するドアの反対側の隅が空いたので、そこに自分の居場所を移した。手にした本を読もうとするとそのすぐ先に女の子の白い腿がどうしても目に入ってしまう。
女の子は俯いていて、少し可愛らしいように見えた。ショートカットでほんのりと茶色系のヘアカラーで染められている。
何度か顔を上げた時、少し印象が変わった。正面から見るとそれほどの美人ではない。醜い訳では決してなく、可愛げもそれなりにあるが、じっと見つめていたいような美しさは持っていなかった。この子の為に何かをしてやりたいと思う気持ちは沸いてこず、エッチなことをしても飽きたらすぐ別れたくなるような感じだ。エッチなことをしてみたいぐらいの性的な魅力はあるが、してしまったら、その気持ちは持続出来ないだろうと感じられるような。
こんなことを想像するのは、女の子の太腿をちらちら見ながら、宮部みゆきの「模倣犯」をずっと読んでいるからだろう。女の子を次から次へと拉致して監禁し、残虐に殺してしまう犯人の心理を追うというストーリー仕立ての小説だ。
小説の文章を追うのを止めて、少しばかり女の子の腿に見入る。かなり短いスカートで裾のすぐ上に股の付け根の存在を感じさせる。それからそのスカートに包まれた内側を想像する。そうすると不思議と下着は浮かんでこない。生身の下着に覆われていない薄い陰毛を伴った性器が浮かんでくるのだ。決して細くはない、どちらかと言えばむっちりとした肉付きのいい、白い生脚の腿が、下着ではなく、生身の性器を喚起するのだろう。
その時はっと気づいたことがある。この子の短いスカートから想像できないちらっと覗く逆三角形のデルタゾーンのことを。女性の脚の間に垣間見る逆三角形のデルタゾーンがなぜあんなにも刺激的なのか。何故、女児用のような短いスカートの女子高生が風に煽られて、スカートを翻らせてパンツ丸見えの状態にした時のパンツがそれほど興奮を呼ばないのか。この目の前に居る太腿剥き出しの女子高生が、そのまま床にしゃがみこんだら丸見えになるだろうパンツの形がそそるものではなく、見苦しいものに感じるだろうことが何故なのか。
そうなのだ。女性の膝頭の先に逆三角形に覗くデルタゾーンが刺激的なのは、女性が隠そうとしているものを覗くケースだからだ。覗かれないように腿をぴっちり合わせているからこそ、覗いてしまうパンティは逆三角形になるのだろう。隠そうとしているからこそ、見えてしまうことが刺激的なのだろう。
そう思いついて、目の前の女の子のスカートの中身を想像したときに、白いパンツではなく、生身の性器そのものを想像してしまったのはそのせいなのだと気づいた。
それから思いついたのは、女の子の白い太腿は男にエネルギーを惹き起こすものだということだ。邪まな思いにせよ、白馬の騎士のように守ってやろうと思う正義感であろうとも。しかし、様々なエネルギーの中でも、陵辱という方向に走るエネルギーがもっとも激しいものになるのではないかという気がしてきた。散らつかされた太腿によって、純愛が鼓舞されるとは思えない。性急な欲情が惹き起こされるほうが自然だ。女の子は理解していないかもしれないが、潜在下では本能的に知っている筈だ。それでも女の子はそういう格好をしたがるのだ。危ない危険を誘っているのに、そうしたくてたまらないのだろう。そしてそれはおそらく、彼女の今この時期しか、そうすることで男の目を惹くことが出来ないと本能的に悟っているからなのだろう。
整った顔立ちででも、知性的な内的感情ででも男の気を惹くことは叶わず、もう何年か経ってしまったら同じ格好をしても醜くしかみえない今だけが旬の熟れ始めようとしている若い生身の身体を使ってでしか男の視線を惹きつけることが出来ないことを。だから、たとえそれが危険を招き寄せるものであっても、その性的魅力を振りまかずにはいられないのだろう。
付け根まで覗いてしまいそうな股座ぎりぎりの短いスカートから生脚の太腿を剥き出しにして晒すことが惹き起こす欲情は、その子を愛しく思う気持ちではなくて、陵辱を誘うものであるにも関わらず、男の子の視線を惹きつけるだけの為にそういう格好をしてしまうのには、犯されるということへ、女として本能的に快楽の歓びがあることを知っている、というより感じ取っているからではないだろうかとも考えてしまう。
宮部みゆきの「模倣犯」を読みながら女子高生の白い生脚の太腿をちらちら見ていて、こんなことを次々に妄想してしまった。
女の子は何を思ったか、突然自分の股間に手を伸ばそうとした。何か痒かったのか、股間ではなくその先の床に置かれた鞄に手を伸ばそうとして途中で止めただけだったのかもしれない。
が、その仕草はどきっとさせるものがあった。一瞬のことだったが、女の子が股間に手を伸ばしたように見えたのだ。今にもその短いスカートを捲り上げ、下着の裾から指を突っ込むのではないかと思わせるような手の動きだった。
品川に着いて、その女子高生も鞄を取上げた。品川の何処かにある私立高校生であるらしかった。ホームの階段を一歩先に立って上っていく。スカートの裾が揺れたと思ったら、女の子は片手を尻の後ろに軽く当て、スカートが翻らないように抑えながら階段を上り続けた。
不思議な心理を観たような気がした。見られたくないと思っているのか、見られることを期待しているのかは判らないが、すくなくとも見られるかもしれないという意識は片時も離れることなくあるということだ。そういうぎりぎりのところに居るという緊張感に快感を得ているのかもしれないとも思った。
女の子に性犯罪者の心理がわからないように、男性にも女の子の心理は想像するしかないわからない世界だ。しかし、その二つは人間の本能というところで結びついているような気がした。
さて、研修中も休み時間にはずっと小説「模倣犯」を読み続けていたので、頭の中は性的な犯罪それも殺人に繋がるような凶悪犯罪とそれをする犯人の心理でいっぱいになっていた。
そんな気持ちの中で研修を終え、帰路についたので、街行く少女たちを見る目が普段と変わってしまった。単なる好色な目付きになったという訳ではない。犯罪、それも性的で凶悪な犯罪を誘発するような少女達かどうかと言う目だ。そしてそれに当てはまる対象はそこにもここにも居るということに愕然とした。
ミニスカートのセクシーな格好の女の子は街には溢れている。今日も大勢見かけた。しかし、見る目は小説に感化されて研ぎ澄まされていた。そんな中でも特殊な危ない子というのは見分けがついた。行きの電車で遭遇したミニスカートの女子高生はその最たるものだったが、帰路の中では新宿駅の小田急線ホームで見かけた女の子が群を抜いていた。
最初は遠くから歩いてくるのを認めたのだった。かなり短めなスカートでそれからはみ出た太腿はかなりむっちりして肉感的だった。だんだん近づいてきて、それが制服ではない私服だが、年の頃は女子高生か行っても大学生に成り立てぐらいに見えた。
穿いていたミニスカートはジャガードのような織物系だが、短さのせいで歩くたびにひらひら裾が揺れていた。腰骨がはっているのかお尻が豊満なせいなのか、短いスカートが無理やり下半身で広げられていて、一番開いたところで裾が終っているという感じだった。
こういうスカートと体型の組み合わせは時々見掛けることがある。階段の最上段などで一番パンツを丸見えにしやすいタイプだ。ちょっと勢いをつけて体勢を変えると、その瞬間にスカートの裾がくるっと翻ってその内部を顕わにしてしまうのだ。
穿き慣れないブーツを穿いているせいか、コツコツと身体を上下に揺らしながら歩いていくたびに、観ているこちらがはらはらするほど、スカートの裾が揺らめいていた。
辺りには注意を払わずに自分だけの世界に浸りながら携帯電話に夢中になって歩いているところも、この女の子の知性を窺わせた。が、問題なのは行きの電車で出会った女子高生と同じ器量だ。
後姿は欲情させるものがあるのだが、真正面に向き合った顔はそれを少し冷めさせるものがあるという中途半端な器量である。決して愛くるしいということがない。しかし、恋人として連れまわして恥ずかしいというほどではない。
要するに性欲の対象としては使えるが、それ以上の用途は想定出来ないというような中途半端な器量だ。そういう子が、若い男の気をそそるような格好をすることは、犯罪を誘発している以外の何者でもないように見えてくる。これがドラマなら近々殺されるのだな・・・と言う感じである。
現実の世界では殺されることになるのかどうか判らないその少女は、携帯電話を耳から話さずにホームを見えないところまで歩いて去って行ってしまった。
小説「模倣犯」は、街中の少女に対する見方まで変えてしまうような妙に説得力のある小説だった。
2005.12.13