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エッセイ

性的興奮に対する文化的意識の差異 2




トイレとバスの関係


 欧米のバストイレを初めて見たのは、私自身の経験で言えば、幼 年期に、米軍駐留軍に勤めていた父に連れられて、駐留していた米 人の居留住宅を訪れた時だった。

 人によっては、洋画で初めて見たという人も居るだろうし、欧米 に旅行して現地のホテルで初めてという人も居るだろう。

 尤も最近はユニットバスなるものが発達して、小さい個人用住居 にはよくこれが付けられているので、最近の若い人には特に違和感 は無くなっているのかもしれない。

 しかし、我々の年代以前には、極めて奇異な感覚のものであった。 つまり、風呂桶の中から便器が見える、また便器に座る人が風呂に 居る人から見えるという感覚である。

 これも、性的興奮の感覚、性的羞恥心の感覚の日本人と欧米人の 違いを表す典型的な事例と言えるかもしれない。

 日本人にとって、便所とは人の目には触れてはならない場所であ って、そこを覗かれることは極めて恥ずかしい場所である。一方、 風呂とは元来公衆の場所であり、裸であっても風呂であれば恥ずか しくないというのが日本人古来の普通の考え方である。
 ところが、欧米人には風呂で他人と裸を共用するというのは、即 セックスを意味し、普通は夫婦にしか許されない秘密の場所である。 それに比較すれば、トイレというのはバス程度の秘密の場所という ぐらいの感覚しかなく、バスを共用する家族間では、トイレを共用 しても特に支障がないという感覚なのだろう。

 欧米ではトイレとバスは、共に水を流す場所という点で、家の構 造上近くに作らざるを得なかったという要因があるのだろう。しか し、それだけでは説明がつかないような気がする。

 トイレもバスも個人が独りで使うものということもあるのだろう。 バスは独りで入るもので、決して公衆のものではない。普通の家で は、この独り用のスペースを幾つも作れないので、ひとつの場所と してまとめて作るというのが極めて自然な発想だったのかもしれな い。

 欧米で誰かがバスを使っている間に、他の人が同じ部屋の中のト イレを使う機会というのがあるのかどうか知見がない。おそらく普 通はないのだろうが、夫婦や家族間ではありそうな気もする。  日本人ほど長湯を使うということなないにしても、誰かが風呂を 使い終わるまで、次の人がトイレを我慢して待っているとは思えな いからである。そういうことは普段の生活の中でままあるシーンの 筈であり、それが不都合なら、とっくの昔からトイレとバスは別の 空間として造るだろうからだ。しかし、例えば見知らぬとは言わな いまでも、家族ではない一応の他人が同居生活をする場合はどうな のだろうか。「同居人」という映画があるくらいで、他人同士が、 アパートの部屋代を浮かす為にひとつのアパートを共有して借りる というのは結構あるようだ。こういう場合に、同居人が風呂に入っ ていたら、トイレも我慢して待つのだろうか。それとも、人の前で トイレを使うことは(同居している程度に)親密ならば平気なこと なのだろうか。
 一般的に欧米ではトイレというものに対する忌避の感覚は日本人 ほどはないように思われる。
 最も象徴的なのが、トイレの音消し装置である。自分がトイレを 使っている音、勿論排泄時の音であるが、これを消す為に水を流し ている音を出させる装置がある。「音秘め様」などという「乙姫様」 をもじった商品名で売られていたりするものもあるが、これは元々 恥らううら若き女性が、集合トイレで用を足す時に、自分の音を聞 かれない為にその瞬間に水を流すことが多く、それでは水道の水が 勿体無いからという発想で生まれたものだそうだ。  確かに異性間、それも男性が女性の用を足す音を聞いているとし たら、淫靡な感覚がするが、それを水洗の音で誤魔化すというのも 合理的ではない気もする。が、欧米人にとっては、合理的でないと か、気がするというレベルどころか、全く理解出来ないものである らしい。
 トイレを使う排泄という行為自体は、人間が生きていく限りごく 当たり前の生活行為であって、人前でやることは礼儀に反するだけ で、性的に恥ずかしいという感覚はないらしい。少なくとも淫靡と いう感覚ではないようだ。子供の時から、風呂と同じ場所に便器が あってという環境で育ってくればこその感覚なのかもしれない。

 トイレの仕切りが日本の物に比べて開放的というのも同じところ から来ている様だ。誰か他人が居て、それを知って中でしている事 を想像するというのは、性的には全く意味がないのだろう。これは 誰しもやる行為で、おおっぴらにやるのは恥ずべき行為だが恥ずか しい行為ではないという発想なのだろう。従って、排泄時の音が外 に洩れたからといって、どうして恥ずかしいのという感覚になるの であろう。
 欧米のバストイレで、もうひとつ奇異に感じるものがある。それ は壁一面に張られた鏡である。個人の住宅でどうなのかは知見がな いが、欧米のホテルを使うと必ずと言っていいくらい、バス・トイ レ兼用の部屋には壁いっぱいの鏡がある。別にセックス専用のラブ ホテルという訳でもなく、ごく普通の旅行者が泊まるホテルに於い て、ごく普通にあることである。

 風呂場に鏡というのは、日本でも髭を剃ったり、化粧を落とした りで必需品ではある。しかし壁一面である必要はなく、ましてトイ レの中に鏡を置く習慣はおそらくないだろう。あってもトイレの個 室の洗面台の前に、顔を確認する程度のものである。
 バス・トイレの中に全身が映る鏡を置くというのは、日本人の私 には到底理解の出来ない感覚である。特に、バス・トイレをトイレ として使う時に、目の前に全身が映るのにはどうにも抵抗感がある。 日本人的感覚からすれば、風呂上りに全身を見る姿見としての鏡な らば分かるのだが、トイレの便器の前にまで必要なものなのだろう かと思うのだ。ここまでくると、排泄の音が聞こえても構わないと いうような領域を遥かに超えているように思える。しかし厳然とし て、これは日欧の現実に存在する感覚の違いなのである。

 2002.8.20 記


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