エッセイ
LGBT法案について
一時「LGBT理解増進法」いわゆるLGBT法についてその是非が一部で議論されていたが、最近はあまり聞くことがなくなってしまったようだ。様々な報道を振り返って読んでみると、どうも2023年に国会を通過したらしい。しかし何が新たにどう定まったのかは未だはっきりしないままだし、日本の社会がどう変わったのかもよくわからない。
そもそもこのLGBT法案が何を目指していたものだったのかもはっきりしないままだ。私の理解はLGBTのようなセクシャルマイノリティと呼ばれる人達が社会から差別を受けないようにしようという趣旨だったと思う。そう聞くと何となく理解出来たような気になるから不思議だ。
私は正直言って、この法案には反対の立場だ。まずそもそもセクシャルマイノリティが何を意味するのかもいい加減だ。LGBTのようなと言ってLGBT以外も含むのだと言わんばかりだったり、+Qという言葉を付け加えてよく分からない場合も含むとしてより「よくわからないもの」にしている。
マジョリティがマイノリティを差別したり排除したりすべきではないというのについては、私は条件付きでは賛同している。何でも認めるという訳にはいかないということだ。
性的嗜好というのは人それぞれで多様だというのは理解出来る。だからといって社会から許されているものとそうではないものがあるのも事実である。
一番わかりやすい例は「幼児性愛嗜好(ペドフィリア)」だろう。一般的にはこれは社会では認められていない。禁じられているだけでなく罰せられる性格のものだ。
最近の例でジャニーズ事務所の創始者ジャニー喜多川氏による特定の若いタレント候補による性的な行為の強要が長い間黙認されてきたという。この場合、一番良くないのはタレント事務所で強大な権力を持つものがデビューや起用を餌に弱者に性的行為を強要している、いわゆるパワーハラスメントの部分だろう。しかし、もしこれが若いタレント候補のほうにもそういう嗜好があった場合にはどうなのだろうか。そういう嗜好がなかった場合でもタレントとして成功する為ならそういう行為も甘受すると決意している場合はどうなのだろうか。
より純粋な幼児性愛とも言える、老人が13歳未満程度のまだ意思表示がはっきり出来ないと認められる場合には、例え若いほうが求めていると言ったとしても禁じるべきだろう。しかしまだきちんとした意思表示が出来ない年齢であっても、本人が望むなら禁じるべきではないという意見には強く反対の意を表明することが私には出来ない。
よりよくある例では高校教師と生徒の純愛というのがある。世間一般にはこれは禁止すべきという意見が多いが、私には何故いけないのかが理解が出来ない。マイノリティだからいけないということではないのは明らかだ。
性的嗜好の中には世の中で認められていないものが多い。幼児性愛もだが、他にも加虐嗜好とか死姦(ネクロフィリア)、獣姦(ズーフィリア)というような極端なものも多い。
LGBT法の考えに私が疑問を感じるのは、男色や性同一障害などは認められるべきだが幼児性愛や死姦、獣姦は許されるべきではないという線引きが本当に出来るのかどうかという点だ。
性的嗜好はひとに依り千差万別だから排除すべきではないとすると、何でも本人が望むならば許されるべきということになってしまう。その辺の観点の議論が出来てないまま、少数派の権利ばかりが独り歩きしていることに私は疑問を感じるのだ。
その解決方法のひとつが周りに与える不快感にあるのかもしれない。私自身は同性同士の愛撫や男性の過度の化粧などには激しい不快感を感じる。私の知らないところで好きな者同士が好き勝手になるのは禁じるまでもないという意見だが、公然とやられるのは規制すべきだと考える。もちろん不快には思わないという人が存在するのも承知の上でのことだ。
個人の性への嗜好は禁じられるべきものとは思わない。もちろんしかし相手の同意や賛同も前提の上での話だ。更にその上で、行為を公然と行うことは少数であってもそれを不快とする人が居るかぎりは許されてはならないというのが私の意見だ。
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