エッセイ
性欲と縛るということ
このHPの主題である「性欲はどうして起こるのか」というテーマの中に「男はどうして女を縛ると興奮するのか、女はどうして男に縛られると興奮するのか」というものがある。
縛ってセックスをするというのは、しばしばサドやマゾ志向のある一種の変態性欲者の好みであると捉えられることが多い。しかし本当は一部のマイノリティを除いて極普通の性欲を持つ男女に共通の深層欲求ではないかと長年私は思ってきた。しかし、それが何故なのかは解明が難しい事柄であるとも思っていた。
そんな中で、ある画像に辿り着いてはたと思いついたことがある。そのきっかけの画像が冒頭の写真だ。
「男と女 夜の営み」というキーワードで検索して引っ掛かってきた画像のひとつだ。男性が女性を抑えつけてセックスをしているシーンだが、レイプシーンには見えない。明らかに女性は男性に両手を抑えつけられていることでより興奮して感じ入っている。男が女を縛る。女が男に縛られるはこの延長戦上にあるのではあるまいかということである。
性教育が必要かという論点について考えていたときに、ふと男と女の営みというのは性教育の必要性が議論され始めるずっと前から面々と受け継がれてきたことである。そしてそれは何時からなのかと言えば、ヒトが類人猿から進化する過程からずっとなのではないかと思う。性教育などなくても男は女と営みを行い、縷々子孫を繋いできたのである。
それでは類人猿からヒトへと進化する過程にある頃はどんなセックスが行われていたのだろうか。これは想像してみるしかないが、男女が愛を育んだ末に結ばれて結合に至るというようなことはない筈だ。文字という文化はもちろんまだ無く、話す言語でさえまだ確立していなかったかもしれない。普段から性器を隠す衣服を身に纏っていたかも妖しい。
そんな時代には男は本能のままに女を見つけてセックスをしたいという性欲にかられ、その実現の為に女を追いかけ捕まえては己の欲求を満たしたのではないだろうか。
一方の女の方は生まれて初めて男に身体を求められた際には、その結果も判らずただ怯えて逃げ惑ったのではないだろうか。そうなると男が女と結ばれる際には、必ず男が女を抑えつける必要があったのではないか。その時、女の方は当初は逃げ惑っていたがいざ男に結合を許してしまうとその快感に酔いしれ、何度もその快楽を貪るようになっていったのではないか。そんな男女の結びつきの繰り返しの中で、男は自分の身体を受け入れる女に次第に倦怠感を抱き性欲が減退してくる。一方の女の方は知ってしまった性の快楽の虜となり、なんとか男に自分の方に向いて貰いたい衝動に駆られる。男が自分以外の新らたな女の方に行ってしまうのを自分の方に留めるのに腐心するようになり、男に捉えられるのを拒む仕草をすることが男の性欲を搔き立てることに気づいてしまったのではないだろうか。
こんな原始体験の擦り込みがヒトという種の中でずっと深層心理として息づいているからこそ、その原点に返るような男が女を縛る、女が男に縛られることで原始的な本能として蘇ってくるのではないだろうか。これは私の妄想に過ぎないが、ひとつの仮説ではある。
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