フェラ

エッセイ


肉体的快楽と精神的快楽


 性の快楽には肉体的快楽と精神的快楽があるように思う。
 肉体的快楽は、皮膚がある刺激を受けることで気持ち良くなることだ。幼年期に初めてオナニーを覚え、性器を手で愛撫することで気持ち良くなってくるのが肉体的快楽のひとつだ。
 一方、精神的快楽は肉体的には本来は気持ちいい訳ではないのだが、気持ちいいと錯覚することだろう。
 多くの男性にとって女性にフェラチオをして貰うことは肉体的な快楽につながる。しかし女性にとって肉体的な快楽かどうかは疑わしい。逆に女性の性器を唇と舌で愛撫するクニリンガスは男性にとって肉体的な快楽ではないように思う。しかし、その行為をすることで女性が感じて喘ぎ声を挙げると想像すると快楽につながる。つまりこれは精神的な快楽なのだろう。女性にとってのフェラチオも同じで、男性がその行為によってより勃起度が増し興奮してくると分かっているから快楽につながるのだろう。
 似たようなことに、男性が女性のお尻を手のひらで打つ行為がある。打たれたほうは直接的には肉体的な快楽に感じない筈だが、男性からお尻をぶたれることで感じて行く女性が多く居るのはどうも間違いない事実のようだ。完全に捕縛して鞭を当てられて悦びを感じるいわゆるSM行為は極一部の人にとってのみ肉体的快楽であるのかもしれない。しかし、多くの男性、そして少なからず居る女性にとってもそういう行為を想像することは快楽につながるような気がする。この場合は精神的な快楽と言っていいだろう。
 肉体的快楽と精神的快楽は必ずしも分離出来るものではなく、両方の要素を兼ね備えて持っていると考えるのが妥当だろう。しかし齢とともに肉体的快楽の要素は減ってゆき、精神的な快楽の割合が増えてゆくのは間違いない。自慰においても、幼い頃はペニスを手で握ってしごいているだけで射精まで至れたのが、頭の中でエロチックな妄想を抱きながらでないと射精まで至らなかったりするというのがその証拠と言っていいだろう。
 フェラチオはされる男性にとって肉体的にも気持ちがいいものだが、手でする手淫に比べて圧倒的に気持ちいい訳ではない。手淫は自分で適度にコントロール出来るが相手がするフェラチオは物足りなかったり強すぎて痛かったりで痒いところに手が届く訳ではない。しかし考えようによっては屈辱的な行為をさせているという征服欲を満たしていたり屈服させているという満足感が精神的な快楽につながっているような気がする。クニリンガスの場合も女性は必ずしも肉体的な快楽に浸っている訳ではないかもしれない。相手の男性に自分の恥ずかしい部分を見られ触られているという恥ずかしさが快楽につながっているのではないかと思われる。
 愛し合っている男女が正常位でただペニスをヴァギナに挿入してピストン運動をするという行為で快楽を感じ得るのは長くは続かない気がする。快楽であり続けるには精神的な部分をより増長させてゆく工夫が必要だと思う。お尻をぶってみたり、縄で縛ってみたりするのはそういうことなのだろう。

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