エッセイ
性教育に必要な事
性教育で何を教えるべきかは、多少の議論にはなっているが何故か月経の説明については古くから必ず必須のものとして入っている気がする。
何故、月経がまず思いつくのか冷静に考えてみると難しい。確かに幼年期から思春期に至る頃の女子がある日突然、性器から血が流れてきたら事情を知らなければ慌てるし恐怖も憶えるのではないだろうか。そういうことは普通なのだと教えておく必要があるのだという論は一見的を射ているようにも思われる。しかし性教育の必要性が世間で喧しく論じられるようになった昭和中期以降よりずっと前、古代から日本を問わず全世界ですくなくともヒトという存在が類人猿から分岐して発生してきた頃からそれはある筈で、今になって慌てて「教えておかねばならない」はないだろう。
思うに長い人類の歴史の中で女児に月経のことを教えるのは母親の役目ではないだろうか。常に女児は母親に見守られて育ってきた筈だ。偶に母親と生き別れた女児も発生しなくはないが、当初は慌てるだろうが、それでもなんとかなって来た筈で大変な事件に発展するとまでは言えないだろう。
月経のことを男児が知る、あるいは知っておく必要があるものだろうか。これが次の疑問だ。大人になる段階で何かのきっかけで知ることになるで別に構わないのではないだろうか。幼年期から思春期に至る段階で、ふとしたことから知る前に全員平等に教え込んでおかねばならない問題とはどうにも思われない。月経期に至った女性に対して思いやりが必要だという人がたまに居るが、性教育の中でどう思いやりをしたらいいのかは教えていないようだ。どうすることが月経期にある女性に対して適切かが難しい問題だからだ。月経中の女性と性行為をしてもいいかどうかも、ある意味どうでもいい話だ。当事者の好き嫌いの問題でしかないような気がする。
女子について月経の説明をあらかじめ教えておくのが有用であるのは百歩譲って認めるとしても、男子の包茎について説明しておかないのは男女平等の観点からするとおおきな手落ちであるように思われる。女子にとって月経がそうであるように、男子にとっては包茎がとても不安になる事柄だからだ。幼年期から思春期の男児にとって、包茎がどういうものかを正確に教えておくのは有意義なことであるとは思うが、それを女児が知る必要があるかというとこれも男児が月経について知る必要があるかと同様に疑問だ。包茎は包皮の裏に塵や黴菌が溜まりやすく衛生上問題があるからという人が居るが、それは女性の性器の陰唇の襞もあまり変わりがない話ではないだろうか。包茎の男性と性行為が出来ない訳ではないし、性行為に危険があるかどうかは正確には知らないが少なくとも聞いたことはない。
仮に自分が包茎であることに認識がない男性が初めて女性と事に至った際に、女性からそのことを指摘されたとしたら、その男性は大いに傷ついて下手すれば勃起不全になってしまうかもしれない。女子にとって男子の包茎は男子にとっての女子の月経と同じく不必要な知識なのではないだろうか。
世界の一部の地域では割礼と称して、問答無用的にこれを克服させてしまう風習が古来から存在する。割礼の是非はこれも性の哲学の範疇にある難しい問題であるように思われるが、包茎については幼年期から思春期の男子が不安に思わないように事前に教えておく必要があるのではないかと思われてならない。
包茎に関する教育について取沙汰されていないことが、そもそも性教育に必要なことは何かが真面目に議論されてこなかった証拠ではないだろうか。
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