夜の営み

エッセイ


営み または営業について


 前から不思議に思っている言葉がある。『営み』とか『営業』とかいう言葉である。この二つはほぼ同じ意味に使われたり、片方でしか使われない用法もあるのだが、いずれにせよ『営』という文字の意味が同じところから来ているようだ。一般的には「物を作る」、「仕事をする」、「物事を行う」という意味があるとされているが、よく考えてみると「物を作る」と「仕事をする」と「物事を行う」の三つには共通性があるようでいて、あまりないような気もする。

 一説には『営み』や『営業』は利益を得ることをするという大元の意味があり、そこから派生して「物を作る」場合や、「仕事をする」場合や、「物事を行う」場合のそれぞれの派生行為の大元の概念とみる人もいるようだ。それで説明が出来ているようで出来ていないようにも思われる。

 一つの使い方は会社などでよくある「営業部門」という言い方だ。利益を得る為に仕事をするのだったら、会社のすべての組織は営業と言えるはずだ。しかし特定の仕事をする部署しかささない。大抵の場合、製造部門は営業とは言わない。経営部門もほとんどの場合営業部門とは言わない。系列の販売店は営業かというと、これも販売店を統括する場合は営業ということもあるが、販売店そのものは営業とは言わない。

 もうひとつの使い方は芸人がよく使う「営業に行く」という表現だ。芸人が本来仕事としている舞台で自分の芸を見せることは「営業に行く」とは言わない。地方のドサ廻りとか称して小さな店舗の店先や集会所などで本来の芸の披露とは異なる場所で自分の芸を使って金を稼ぐことを言うようだ。売れない芸人が本業では生きていけないので生活の為に本来ならやらない場所で金稼ぎをすることを言うようだ。本業で金を稼ぐのは営業ではないのだろう。

 もうひとつの使い方、一番訳が分からないのが「夫婦の営み」とか「夜の営み」というヤツだ。勿論、セックスのことだ。何故セックスが営みなのか、会社の営業部門や芸人の荒稼ぎと同じ字を使うのかが意味不明だ。
 一説には「すること」の総称だという説がある。何をするのかを言い憚られる場合に、直接的にいわないで「することだよ。何をするかは言わなくてもわかるだろ。」という言い方から夫婦の営み、男女のいとなみ、夜のいとなみが来ているのであれば隠語的用法なのだと理解出来なくもない。

「すること」の総称から来ているのだとすると、営業や営みとは言わない「すること」も多々ある。「すること」の中で営業や営みとは言わない事例の方が多いだろう。

 別の解釈意見では「いとなむ」は「暇(いと)無し」から来ていて、休む暇がないほど忙しいから来ているという説がある。小さな事業主が「xxを営んでおります」というと謙遜してこじんまりとだが一生懸命やっていますというような意味で使ったりする。しかし「夜のいとなみ」は休む暇もないほど一生懸命セックスをしていると取るのは変だろう。やはり「xxだったら必ずやること」と取るほうが自然だ。男女が一緒に居ると必ずやること。夫婦だったら必ずすることが営みなのだろう。売れない芸人だったら必ずやる事という小遣い稼ぎにも通じる。売れない芸人の場合は本業をやる場があまり無くて暇だし、生計が立たないからやるのだろう。

 どう考えても、先の三つの事例が同じ言葉を語源にする理由が説明つかない。

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