mie_panty

エッセイ


初めてのパンチラ掲載目撃


 先日、ラジオを聴いていたらゲストに増田恵子が出ていた。嘗てのピンクレディのケイちゃんだ。その当時のエピソードなどを語っていた。その時、ふと脳裏に浮かんだものがある。それは雑誌で初めて有名人、この場合アイドルと言った方がより適切かもしれないが、雑誌のグラビアで初めてパンティが写ってしまっているミニスカートのアイドルの姿を見たことだ。
 雑誌が何だったかは忘れてしまったが、おそらく平凡とか明星とかといったアイドル雑誌ではなく一般誌の週刊誌だったような気がする。デビュー曲の「ペッパー警部」がヒットした直後ぐらいで、日本中の老若男女が夢中になった大ブレークのちょっと前ぐらいだったと思う。
 パンチラを撮られたのはピンクレディのミーちゃんこと根本未唯の方だった。ケイの方が若干スリムで華奢な感じなのに対し、ミーは肉感的でその分エロティックな度合が強かった気がする。ペッパー警部のヒット直後となれば1976年の頃だった筈だ。
 あまりに衝撃的ではっきり憶えているのは、それまで女性有名人や女性アイドルがミニスカートからパンティが見えてしまっているものを雑誌に掲載されるなどということがあり得なかったからだ。ミニスカートがイギリスのツィッギー等モデルから始まって世界的に流行し始めたのが1964年頃だった。日本でもすぐに伝わって日本人女性の間でも流行り始めたのは1966年頃ではなかったかと思う。女性タレントのミニスカートの先駆けは安倍律子で1970年が最初のヒットだった。その後、続々とミニスカートを売り物にする女性タレントが続出した。いわゆる三人娘という言い方の数々のアイドル歌手の中で最初にミニスカートを売り物にしたのは小柳ルミ子、南沙織、天地真理の三人だった。これらの女性タレントはミニスカートから太腿を露わにはしていたが、裾からパンティを覗かせるなどということはあり得ないことだった。おそらくは写り込んでしまった写真もあったのだろうが、雑誌などに掲載されることはまずなかった。所属事務所が禁止していたのだろう。その禁を破ったのがピンクレディだった。
 スカートからパンティが見えている写真を撮られ掲載されるというのは、その時代まではヌードモデルなどと称する一部の性を売り物にする専門モデルだけで、パンティが見えているものを載せるというのは一般アイドル、タレントの間では、陰毛が見えているヌード写真同様、この時代には禁止されていたのだろうと思われる。
 そういう時代だっただけに、初めてグラビアで観たピンクレディ、ミーのパンチラは衝撃的で、ドキドキしたことをはっきり憶えている。

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