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エッセイ


初めてのポルノ誌


 つい一週間ぐらい前に「初めての写真集」という短文を記している。その時、写真集というからには、文庫本の写真集やグラビア雑誌は含めないことにした。そして写真集といっても中古再販店で売られている格安廉価版も含めていない。所謂、本屋で数千円で売られている正規に出版されているものという定義である。それはちょっと高価で簡単に手を出すことは出来ないもの、しかしどうしても欲しかったものというハードルを超えて初めて買ったものというのに意義があると思ったからだ。
 「初めての写真集」ではないが、似たようなハードルのものに「初めてのポルノ誌」というのがあると思う。こちらは基本的に雑誌だ。ただし一般のグラビア誌は含まない。ポルノだから当然ながらアイドル雑誌も含まない。青年向けの健全な、すくなくとも表面上は健全なもので、本屋の店頭に並べても顰蹙を買われない男性一般誌も含まない。その手の欲情を満たす為だけの専門雑誌ということになる。
 このような定義にすると、週刊プレイボーイ、平凡パンチ、GOROなどは外れることになる。欲情的なアイドルの水着写真までは載っているが、性器はおろか陰毛すらも写っているものは掲載されない雑誌類だ。米国本国版のPLAYBOYはというと微妙なところになる。60年代、70年代の日本では陰毛が写りこんだグラビア写真入りの雑誌は発禁扱いだったが、本国版PLAYBOYには陰毛は既に解禁になっていた。性器が映ったものまであったかどうか定かではないが、本国版のピンナップ嬢は日本のそれに比べてかなり大胆なポーズが多かったように記憶している。それでも記事全体からすれば男性一般誌と言わざるを得ないように思う。
 ちなみに本国版PLAYBOYを買ったのは、60年代の終り頃だったと思う。一般の書店にはそんなものは置いてなかったし、全頁英語なので、買う人間の居なかっただろう。買ったのは神田の古書店街で、外国の雑誌をいろいろ取り揃えている店で、バックナンバーがかなり揃っている店で買ったという記憶がある。中学2年か3年だった筈だ。
 よくよく考えてみると、日本にはずっとポルノ雑誌なるものは無かったような気がする。少なくとも青年が人前でポルノ雑誌をポルノ雑誌を買えるような店は無かったと思う。かなり大人になってから日本にも「奇譚倶楽部」とか「裏窓」というようなこれならポルノ雑誌と呼べそうな雑誌が在った事を知ることになるのだが、一度も見かけたことは無いし、何処で売られているのかも知らなかった。裏の社会で流通していたものなのだろう。
 70年代の終り頃、会社に入社して所謂社会人生活を始めた頃、海外にはポルノ雑誌なるものがあるというのを先輩社員から教えられたのだったと思う。その当時、海外出張は会社生活の中で一生に一度行くかどうかというような時代だった。そんな中でもごく限られた人が会社の用事で海外出張をして買ってくるお土産の中にこのポルノ雑誌なるものがあったのだ。日本では出版はおろか、海外で購入して日本に持ち込むことも禁止されていて、税関で見つかれば没収されるというものだった。それでもスーツケース内の衣装袋の奥などに忍ばせて秘密裡に持ち帰ったものを、会社内の男性社員の間で密かに回覧などしていた。そういう物の中には陰毛は勿論のこと、性器そのものが何の修正もなしに写り込んでいるのは当たり前で、男性器が女性器の中に挿入されて、将に接合しているところまで含まれていた。しかしそれらは概してグロテスクなもので、本当に欲情をそそったのかどうか疑わしい気がする。
 そんな時代に自分にも海外出張のチャンスが巡ってきたのは入社9年目の時だった。その時でも100人ぐらい居る部の中で、海外出張出来るのは年間1人か2人程度で、殆どの社員にはそんな機会は巡って来なかった。海外旅行はというと、新婚旅行の時にハワイに行くのが最初で最後というのが当たり前の時代だったのだ。
 私の場合は開発の一旦を任されていた新製品が世の中に出て、その宣伝を兼ねて海外の発表会に英語で講演をしに行くというものだった。免税となる煙草、洋酒などは勿論だが、その手のポルノ雑誌というものも、お土産として期待されているものの一つだった。
 約一週間ほどの滞在期間のうち、現地駐在員に連れられて夕食の後、何度かポルノショップに連れていかれた。海外駐在員が出張者を連れて行く定番の店というのはその頃当り前のようにあったのだった。
 そう言えば、ポルノショップというものも日本ではあまり見かけなかった気がする。勿論知らなかったというだけかもしれないが、少なくとも一般的な街中にあるようなものではなかった。日本ではポルノショップという言い方はせず、大人の玩具を売る店として存在した筈だ。ポルノショップと大人の玩具店とでは若干ニュアンスは異なるが、どちらも同じ要求に答える店ではあった筈だ。大人の玩具の店というのも海外出張でポルノショップに連れて行かれたより、ずっと後の時代だった筈だ。
 日本の大人の玩具の店はひとまず置いて、海外出張で連れていかれたポルノショップだが、所謂繁華街というところからちょっと外れた下町風の通りの一角にあって、売り場の殆どは地下だったと思う。派手な女性用の下着や、コンドーム、性行為で使うジェルなど様々なものと一緒に所謂ポルノの書籍、雑誌と、当時既にアダルトビデオも売られ始めていたと記憶している。まだVHSテープが普及し始めたばかりで、その当時はブルームービーと呼ばれた8mmビデオなどもあった筈だ。
 そんな中で私が購入したのはお土産として最も通用しそうな性行為が多く写っていそうな雑誌二冊だが、自分用には一冊だけ密かに購入している。それが冒頭のBONDAGE PHOTO TREASURES と題された一冊だった。ビニールの袋に入っていて中身を確かめることは出来ず表紙の写真だけで中身を想像して買い求めたものだが、ただの性行為のオンパレードとはちょっと毛色が違うことが明らかに判ったのだった。
 日本ではその当時、まだSMという言葉さえもあまり認知されていなかった。広く知られるようになったのは団鬼六の長編小説「花と蛇」が角川文庫によってシリーズ物として文庫化された後ではないかと思う。初版は1984年で、私の海外出張より2年ほど前になる。発売されてラジオで紹介されていたのを聞いて、すぐに購入してみたという記憶がある。それは衝撃的な作品で、世の中にこんなものがあっていいのだろうか、いや、世の中にこんなものがあったのだという驚きだった。性の世界がまだ解放されていなかった時代の話だ。
 そしてその「花と蛇」で知った淫靡な快楽の世界とは別に、初めての海外出張で連れていかれたポルノショップで自分用に密かに購入した一冊の雑誌によって、「ボンデージ」と呼ばれる世界があることを初めて知ったのだった。
 ボンデージ専門誌である「BONDAGE PHOTO TREASURES」の中には裸にされた女も、剥き出しの性器も出て来ない。海外出張で求められた所謂ポルノ雑誌とは明らかに範疇の違う世界のものだった。それはその頃日本で知られていた所謂SMというのとも違うし、団鬼六の花と蛇の恥辱の責め苦に感じる官能とも一種別なエロティックな世界なのだった。そこに共通して繰り広げられている写真に共通しているのは何等かの形で縛られている女であるということ、縛られている以外には何もされていないということだ。それなのにとてもエロティックな気持を昂揚させられるのだ。自由を奪われた女がこれから何をされるのだろうかと、想像するだけで気持ちが高ぶってくるのだ。それは少年期の頃、夢中で観たり読んだりしていたヒーロー、ヒロインたちが敵の手に堕ちて、理不尽な責め苦を受けそうになる、所謂ヒロピン(ヒロイン・ピンチ)の世界に相通じるものがあったような気がした。ハラハラ、ドキドキするのと同時に、何かいけないものを見たいという切なる衝動を心の奥底に感じた、あの世界なのだ。そう言ったものは世界共通なのかもしれない。
 ここまで書いてきて、はたと気づいたことがある。冒頭に初めての写真集について触れて書き始めたあのだが、その私にとっての初めての写真集というのが「ANOTHER SKIN」という山咲千里という女優のもので、副題が「SENRI YAMAZAKI IN THE BONDAGE」というものだったのだ。つまり最初の写真集も、最初のポルノ誌もいずれもボンデージという共通点があったということだ。
 ボンデージという世界にひとかたならぬ思いを抱いていたということが客観的な事実で判ったのだった。

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