another skin

エッセイ


初めての写真集


 つい先日、とあるTV番組で「初めての写真集」という特集があった。所謂バラエティ情報番組のひとつで、MCや当日ゲストが自分にとって初めての写真集が何だったかを披露しあうという企画だった。それを見ながら、自分にとってはどうだっただろうかと考えてみたが思い出すことは出来なかった。
 番組を観終わった後、自分の本棚にある写真集を一つひとつ手に取って発刊日を調べてみて漸く、どうも山咲千里という女優の「ANOTHER SKIN」、副題「SENRI YAMAZAKI IN THE BONDAGE」らしいことが判った。初版は1992年2月だが、手元にあるのは第6刷だが初版の翌月発行だった。異例によく売れたということなのだろう。
 副題にBONDAGEとあるが、縛られている格好の写真は一枚きり、他に両手を後ろ手にしていて縛られていることを想像させるものがもう一枚あるきりだ。

山咲革バンド

 以前にSM一括りという題名のエッセイを書いていて、日本ではSMイコール縛りと一括りにされるが、実際にはSMには大きく分けて四種類があると自ら解説している。この時の解説に従えば山咲千里の「ANOTHER SKIN」はbondage & dicipline にあたると思われる。辞書的なbondage の意味合いは束縛、屈従、囚われの身などとなっていて、必ずしも縛るとか緊縛という意味ではないようだ。写真集の中にも実は束縛、屈従、囚われの身に直接当たるようなポージングや衣装は殆どなく、欧米特有のジャンルであるラバーや光沢のある革を素材とした身体にぴったりとした衣装を纏った姿でのポージングで、文字通りの束縛状態を必ずしも表していない。にもかかわらず、特有の妖しげな性的興奮を想起させるものではある。
 何故、山咲千里の「ANOTHER SKIN」だったのかと言えば、性的興奮を求めてのことだというのは間違いない。欲しかったが本屋で店員に差し出すのが恥ずかしくて躊躇って結局諦めたものもある。石田えりという女優の「罪(IMMORALE)」というもので、こちらも似たようなテイストの写真集のようだ。調べてみると初版発行は1993年3月と山咲のものと僅か一年違いだ。諦めたのには石田えりは当時でも既に薹が立っているように思われて、興奮も醒めてしまうのではないかという危惧があったのもあるかもしれない。
 一般的には男性が最初に買い求める写真集はアイドル物が圧倒的に多いようだ。考えてみると女性アイドルの写真集を買ったというのは、文庫版と再販物の特価品以外ではないようだ。個人の写真集での文庫本で言えば1986年初版の石川秀美のものがある。山咲の写真集が3000円なのに対し石川秀美の文庫は580円だから同じジャンルとは言えないだろう。再販物を特価価格で買ったのは島崎遥香のものとか、指原莉乃のものになると思うが、ごく最近の10年以内のことだ。それも発刊されて売れ行きが落ち世間からは忘れかけられた頃の購入だ。
 アイドル写真集は欲しくなかった訳ではないが、数千円という写真集として普通の価格帯の金額をはたいてまで欲しいというのではなかったようだ。石川秀美も可愛かったからという理由ではなく、ミニスカートからパンティを覗かせそうな太腿が欲情的だったからでそういう目的で買ったとすればアイドル写真集と言うよりは山咲や石田の写真集を買い求めるのに近い。島崎遥香も指原莉乃もファンだからではなく性的欲求に依るところが大きい。いずれにせよ、アイドル写真集は私にとって数千円の大金を払ってまで買う価値のあるものではなかったようだ。
 性的刺激を得る為のものとは別のジャンルで自分が趣味で購入するものに、西洋建築、それも日本における明治から昭和初期に掛けての洋式建築の写真集と、自分の故郷の移り変わりを収録した郷土写真集がある。後者には乗り慣れた地元の鉄道の写真集も含まれる。これらのものは完全に趣味の世界なので、お金に余裕の出た熟年に入ってからのものが殆どだ。だから初めての写真集に成り得る要素はない。
 性的興奮を呼び覚ます淫靡な世界を映しだすものというジャンルに山咲千里の「ANOTHER SKIN」が入るとして、他の選択肢は無かったのだろうか。90年代初め頃というと、女性の陰毛が映った写真が含まれていると即発禁になっていた時代から少し緩くなって、そういうものが大目に見られる様になった時代だった気がする。実際、山咲の写真集では表紙から目を凝らしさえすれば陰毛が写り込んでいるのが判る。また世の中に出すことがタブーとされていたその当時まで変態性欲と呼ばれていたものが普通の社会に入り込んでくる時代だ。それまでの退廃的淫靡な世界を撮ることで有名だったアラーキーこと荒木経惟が使っていたモデルは所謂その世界専門のヌードモデルであって、一般の女優とは一線を画している。山咲千里も石田えりも一般の女優であって、決してヌードモデルではない。しかも写り込む淫靡な画像の世界はただ単に脱いで裸の肌を露出したというものではない。全裸ではないのに、とてもいけないものを見てしまったと思わせる独特のコスチュームやポーズなのだ。それが新しい刺激として感じられたのだろう。同じ時代の荒木経惟が撮ったモノクロ中心の写真集「灰色の街」という作品も世に出てから十年以上は経ってから再販店の特価品として購入しているが、最初に購入する写真集としては選ばれていない。選ぶ筈もなかったと言っていい。美しくないと感じたからだ。美しい筈のものが、いけないことをしている。それをこっそり垣間見る。そんな密かな愉しみがその時代にやっと売られるようになって居並ぶアイドル写真集に混じって売られるようになったのだ。それに魅了されたからに違いない。

山咲縄縛り

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