エッセイ
スカートと花弁
「女性のスカート」の起源というものについて考えたことがある。
「女性の」とわざわざ頭につけたのには意味がある。「スカート」
そのものの起源ではなく、何故女性だけが穿くのかという意味を含
めての起源についてだからである。
女性がスカートを穿くということについては、単なるたまたまの
ファッションというのではなく、何か時代を超越した人間の性の根
源に関わるようなものがあるような気がしてならなかった。
それは、スカートというものが人類の歴史の中で、既に中世の頃
には定着していたという事実にもよる。1000年以上の歴史があ
るということになる。それ以前はというと、なんとなく曖昧で正確
な資料に乏しいのだが、衣服そのものが制作上それほど自由度がな
かったのではと想像される。西洋や中東でのキリスト教初期の絵を
見ると、何となく布を肩から掛けただけのように見えるし、中国の
秦の時代等も似たりよったりで、まだ衣服の形状として定まってい
ない時期だったのではないだろうか。
従って、衣服というものを男女それぞれに合わせて、ある形にし
て着分けるようになって以来ずっとスカートは女性のものとして存
在してきた様な気がする。
日本に於いては、スカートは勿論明治維新以来西洋文化の渡来と
共に普及してきたもので、それ以前は着物という形では男女夫々に
それほど大きな形状的な違いはない。尤も、日本の古代から中世に
掛けても、男は袴に近いものをまとい、女は十二単に代表される様
な着物で、現在のズボンとスカートの関係に近いと言えるかも知れ
ない。
また、明治維新以降西洋装束が導入されるようになる以前の着物
でも、その下に纏っていた下着はと言えば、男は褌、女は腰巻で、
これもズボン、スカートの前身と言えるのかもしれない。
それだけ長い歴史の中でずっと存続してきたスカートなのだが、
何故そんな風に性別に従って愛用されてきたのかということになる
と、素朴な疑問だが、答えはしかというものは見当たらない。
単純な発想だが、人間の日々の営みの中で繰り返される排泄行為
の男女性器の違いによる、し易さという面で説明がつきそうな気も
する。男性は立って、身体の一部だけ出して行えばいいが、女性は
しゃがんで、あるいは座ってでなくてはならないし、局部だけ出し
てというのは具合が悪い。しゃがんだ時に下半身を広く開放し用を
足すにはスカートが都合がいいというのはなんとなく肯ける様な気
がするが、男にとってスカートが都合が悪い、あるいはスカートの
下の着ける下着についての明解な説得力に欠ける。
これは排泄という行為だけでなく、男女の営み、所謂性行為のし
易さという観点で考えても同様である。男性は局部さえ出せばいい
し、女性は脚を広げ受け入れるにはスカートが都合がいいというの
も一見、理に適っていそうだが、局部だけ出して性行為を行う男性
はおそらく少ないだろうし、スカートを穿いたままの女性の性行為
もまれだろう。
ズボンは男らしくみえ、スカートは女らしく見えるという発想も
小学生を諭すにはいいかもしれないが、理屈にはなっていない。お
そらく鶏と卵、というよりも結果と原因が逆で、男はズボンを常用
し、女はスカートを常用するので、それぞれその服装が結果として
男らしく、あるいは女らしく見えるので決して原因ではないのでは
あるまいか。
現代社会のように、女性が極普通にズボンやパンツルックを身に
着けるようになって、不便を感じない生活を送る中で、やはり利便
性で説明をつけるのは無理があるのは間違いがない。
また、これだけ女性の服装として便利に出来てきた現代のズボン
やパンツルックの中で、女性のスカートは決して無くなろうとしな
いし、男性にスカートが普及する兆しは全くないのは何故なのか。
この疑問に答えてくれるものがない。
観点を変えて考えてみると、女性はスカートを穿く姿が美しくみ
えるからではないかというおぼろげな解答が浮かんでくる。
フィギュアアイススケートで女性はスカートで演技するものと決
まっている。おそらくこれは、美しさも合わせて競う競技にあって、
女性のパンツ姿はおそらく美しくないからではないのか。
女性に対して脚線美ということはあっても、男性に対してはない。
ギリシャ彫刻のダビデ像のように造詣の美しさを極めた男性像に対
しだって、脚線美ということはない。脚線美は女性固有のものであ
る。
脚線美を強調するのが、アイススケートのあの短いスカートのコ
スチュームなのだというのはどうだろうか。
これは簡単に矛盾があるのに気がつく。脚線美を強調するならば、
いっそのことスカートも無い水泳競技のようなコスチュームにすれ
ば良い訳で、また脚線美を隠す長いスカートが、中世以降の歴史の
中で、長く使われてきたことをも説明してくれない。
しかし直感的に、女性が美しく見えるというのには、何か解答に
近いものを何となく感じてはいた。美しいとか性欲を抱かせるとか
いう、人間の性の根源に何か関わるものが理由なのではないだろう
か。
そんな思いを何となく抱いているある時、ふと庭に咲き誇る花を
見ていて、これが自然の摂理ではないかとはたと思い当たるものに
ぶつかった。
咲き誇る花の花弁は女性のスカートに似ているのである。花の花
弁は美しく彩られたひらひらの奥に、生殖の根源であるめしべを内
包している。花びらそのものは、その奥への侵入を拒むような格好
をしておらず、外からの侵入に対し、むしろ開放して誘っている様
な格好をしている。しかし、その奥なる神秘を包み隠し、想像を逞
しくさせる。それに惹かれる蜜蜂を、あるいは蝶をその奥に誘い込
ませる。
いつでもそこに侵入できそうな開放された形を持ちながら、その
奥に秘めたものを隠し、その奥に突き進むことを誘うもの、それが
あのスカートの本質なのではあるまいか。そんなことを花の花弁を
みながら、何となく思ってしまったのだ。
2002.8.21 記